矢嶋 英敏(やじま ひでとし)

1935年、群馬県前橋市生まれ。10歳で終戦を迎える。東京学芸大学附属中学に進学。鉱石ラジオと野球に夢中になり、ついた渾名が「電波少年」。外国のラジオ放送で英語を覚える。1957年、慶應義塾大学文学部卒業。防衛庁輸入課を経て、1959年、官民共同出資の日本航空機製造に入社。戦後初の国産旅客機YS-11のプロジェクトに参加し、24歳の若さで部品購入担当者として活躍。その後、YS-11の海外営業マンとなり西アフリカ地域を担当。上司から「5機売るまで日本に帰るな」と厳命されて単身アフリカに乗り込み目標を達成したことは、今でも語り草になっている。1977年、42歳で計測・医用・航空・産業機器の名門メーカーである島津製作所に専門課長で入社。貿易部長や航空事業部長などを経て、1998年に中途入社社員として初の社長に就任。「やり遂げろ」を合言葉に、前例にとらわれない「選択と集中」で事業の大胆なリストラクチャリング(創造的再配置)に取り組む。老舗病に苦しんでいた同社の経営改革を成し遂げた。2003年会長に就任、以来、社業の傍ら講演などで「国産旅客機YS-11」「産官学連携」「経営改革」への思いを語る。

※本データは、小社での最新刊発行当時に掲載されていたものです。